Human Report

人間らしさを追求するブログです

こどもが大好きな理由

言葉にできる理由もたくさんあるけれど、
ならないものもたくさんあることも、
こどもが大好きな大きな理由です。

何かを好きでいられることほど、
自分の存在をはっきりくっきりさせてくれて、
こんなに幸せなことはないんじゃないかということを、
こどもに教えられてきた気がします。

 

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こどもが大好きな理由は、実ははっきりこれだ!と言えるものはありません。
ただ、余計なものをそぎ落として、自分にはこれだ!と自信もって言えることは、「こどもが好き」ということであり、何かに夢中になる姿、困難を乗り越えようとする姿に、「成長をサポート(この言葉あまり好きではないですが)したい!」と強く思うようになっていきました。いつもこどもとともに過ごせる仕事が、そういう思いにさせてくれたことは明らかです。

成長をサポートしたい、ととくに感じるのは、こどもが自分の気持ちをまっすぐに表現する姿と対峙する、まさにその瞬間です。真剣勝負を挑むかのような、それでいてあどけない表情に、「今」を生きる迫力と可能性を強烈に感じる瞬間です。

こどもは、人は学びつづけることができるという可能性を、つねに示してくれる存在です。人はいくつになっても学べる、成長できる存在です。生きることと、学び続けることは同義語ではないかと、こどもの姿にこそ問いかけられるような気がします。それをいつも心に留めおき、人としてどうあるべきかを考えさせてくれるこどもが好きという気持ちは、尊敬にも似た気持ちかもしれません。

「意味ある行動」の中に、物語がある

今まで(半年くらい前まで)は、こどもの言動を切り取った「(目に見える)場面」や「(楽しそうな)光景」に未来への可能性を見出していました。しかし、あるとき、それはもしかすると、私が見たい場面を見たいように見ているにすぎないのではないかと思ったのです。

こどもの成長に手ごたえを感じられる『仕事』がしたいと考えるようになった私は、その方法を模索していました。そんなとき出会ったのが、〈学びの物語〉という本でした。
※ここでいう『仕事』とは、サービスとお金の交換で成り立つものというよりは、“自分の役割で貢献する”という意味での『仕事』。

ひとが学び続ける可能性の証は、連続した場面が描く「ストーリー」にあると気付かされました。場面を切り取り望むゴールに誘導するのがおとなの「エゴ」だとすれば、「ストーリー」は、こども自身が見出す「意味ある行動」そのものです。そのストーリーを見ることは、学ぶ意味を見ることであり、生きる意味を見ることであり、ひとの可能性に希望を抱くことです。

こどもは、おとなが望むゴール目指して生きるのではなく、「意味ある行動」において学びつづける存在です。そう気付かせてくれたのが、〈学びの物語〉でした。そして、「意味ある行動」を物語として紡ぎ、こどもに「自信」という「成長にとって最高の武器」をともに磨きあげられるおとなでありたいと強く願うようになりました。

こう考えるようになり、はっとわが身を振り返る経験がありました。

「何してるの~?」
と聞くと、びっくりして遊びが止まるこども。

「手伝おうか~?」
と突如に仲間に入ろうとする私を拒否するこども。

今思えば、どちらも熱中していたことを不意に横取りされたような気持にさせてしまったのではないかと思っています。時間が気になったり、遊びの広がりや工夫にばかり神経を使うと、こどもが紡いできた物語を楽しむ余裕がなくなってしまいます。必要なのは、「余裕」だと今は、感じています。

物語は、語られてこそ意味がある

実際には、ひとりのこどもをつきっきりで見ていることは無理です。
しかし、複数のおとなが見ることで、ひとりのこどもに目が行きとどくだけではなく、ひとりのこどもの「物語」から、複数の可能性を見出すことができるようになります。
大事なのは、物語をおとな(現場教育者と保護者)で共有し合うこと、そしてこどもが掴みかける成長のチャンスを、みなで後押しする手助けをすることではないかと、思います。

 イベント(行事)と物語の違い

あらかじめやることが決められているのがイベント(行事)だとすれば、「物語」は、やることが決まっていません。誤解を恐れずにいうならば、ここに大きな違いがあります。自分の興味とイベントの内容が合致すれば、そこは期待以上の結果(成果)が生まれる場となります。活気あるイベントの多くは、そんな場であることでしょう。

一方「物語」は、何をするかはこどもにゆだねられています。こどもの「興味・関心」こそ、学ぶ続ける心が育つ大きな出発点(起源)であると考えるからです。(イベントがそうでないと言いたいわけではありません)。しかし、だからこそ、「環境」がとても大事です。「舞台」といってもよいかもしれません。森が嫌い、虫が嫌いなこどもが「森」という舞台につれてこられても、そこにいきなり「興味・関心」は湧かないでしょう。「舞台」を準備するのは、おとなの大事な役目です。


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